お名前: 江戸通
言いたかったことの一つは、大石良雄は、ヨシタカで
ヨシオではありません。
もう一つは、「佐々成政」ですね。江戸時代の大名の
48パーセント以上は、愛知県出身ですがね。(あやしくなってきた)
越中から、肥後に国替えになった後、一揆の責任をとり自決してますが。
(ちょっとあやししい)
何故か、一族から、近衛家の慈光院や佐々淳行さんをだしていますね。
すけさんも一族だったそうです。
(ちょっと直った)
江戸通
[2004年09月22日21時20分]
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お名前: 蛇足
「仮名手本忠臣蔵」では、吉良良央は、高師直という設定で、
浅野内匠頭は、塩冶判官でしたね。場所も赴きのある、鎌倉
八幡宮の銀杏の下という事ですね。
扇谷、山内、宅間、犬懸、と分かれた上杉家は、出てこなくて
ね。因みに、上杉家は、摂家将軍が下向したときに近習として、
仕えた観修寺家が関東に土着して上杉家を名乗ったものですね。
摂家将軍ですが、藤原姓を名乗っていて、鷹司家か近衛家か、
はっきり言ってませんね。当時から、親王が摂家の党首となり、
親籍降下するという事が多かったので、藤原姓を名乗ったでは、
ないでしょうかね。
江戸通
[2004年09月21日21時11分]
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お名前: 江戸通
癇癪持ちの憎めない殿浅野内匠頭(たくみのかみ)が高家筆頭吉良良央
(よしお?よしおう?)に刀傷(にんしょう)におよび、切腹を申し渡され、
不服とした藩士が、本所の吉良屋敷を襲撃、殺害に及んだもの。
最近、家老大石良雄(よしたか)の妻が、佐々成政の子孫であったことが、
言われてますね。こういった、題材に事かかない、「忠臣蔵」ですが、
女達の「忠臣蔵」というのは、手をつけられませんね。
浅野本家も、浅野長政、浅野幸長のどっちの系統だったのでしょうかね。
「利家とまつ」でも紹介されてましたが織田信長の家中で有名な浅野家は、
石川県で、藩をほおって釣り三昧の江戸時代をすごしたとか。
甲斐を任された、浅野長政は安井家からの養子で、浅野本家には、安井家の
影響が強かったらしいですね。
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な〜じゃな、なごやりゃ、なこなもんやろ
ところが、この話題は、佐々成政が国司を務めた、富山発なのです。
とりとめのないところで、すいません。
マックさん、名古屋ではどうですか?
江戸通
[2004年09月21日08時09分]
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