お名前: 江戸通
何回か行ったときに説明を受けたかも知れませんが、
覚えがありません。
http://www.horyuji.or.jp/kedaizu.htm
ちょうど、玄奘(唐)が帰国し般若経を翻訳していた
時期であり、ガラス製の仏舎利容器が奉納されているそうです。
かろうじて、ああ聞いたことがあったなと言う感じです。
日本では、一切経の研究が行われ始めた時で、川原寺で
初めての翻訳が行われたと年表にありました。
江戸通
[2004年07月18日09時30分]
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お名前: 広嗣
法隆寺もどこかに修理用の山林を持っていたのでしょうけど、運ぶのに何ヶ月もかかるような場所ではなかったでしょう。日数がかかったのは、建材として使えるようになるまでの方だったと思います。
丸太小屋を作るのなら、持って来てそのまま積み上げ組み合わせれば済みますが、加工するとなると、目的にもよるのでしょうけど、結構準備期間がかかるようです。私も木材の専門家ではないので、以前どこかで聞いたことの受け売りですが。
法隆寺と全く関係ないのですが、何年か前にある展示会で会期中ずっと木の柱がただ突っ立っているだけという「展示物」があったそうです。デザイナーと呼ばれる人が、木の性質を知らずに設計をしたために制作が会期に間に合わなかったためだそうです。
[2004年07月18日00時23分]
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お名前: 四角五角
この間テレビで最後の宮大工といわれた故西岡常一氏の弟子小山三夫氏の講演をテレビで見ました。宮大工としていろんな歴史的建造物の修復に意見を求められている氏の言葉で材料となる木材についても言及してました。
修理に使う木材というのは今で言えば伊勢神宮の様に自前で賄っていたそうです。つまり、お寺がそれぞれに山を持っていて、その山から木を切り出して修理などに使っていたそうです。新築には木材を探していたりしたでしょうが、修理に必要な木材はわりと計画的に植樹をしていたそうです。それに、古い木材を捨てるのではなく、再利用して別の場所に使うという事もあったそうです。
あと、切り出した木を建築用にするには確かに時間が必要だそうです。でも、切り出しから目的地に運ぶ日数などで結構時間がかかってましたからね。
なんにせよ、彼ら宮大工の言葉で印象的なものは「千年生きた木をつかって建物を造ったら、千年持つ」という言葉。木(ヒノキ)という植物の生命力と匠の技に驚きます。
[2004年07月17日20時27分]
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お名前: 広嗣
再建説があるのは聞いていましたが、木造建築が1400年以上も災害や火災などで壊れずに残っているとは、驚異的です。
伐採だけでも約30年かかったのは、必要な木材を探すのにそれだけかかったのか、計画的に植樹して育てたのか、そのどちらかでしょうね。それと木は意外と加工に手間がかかるので、完成までにかなりの時間を要したでしょうし、本当に伐採順に再建が完了したのか、疑問はあります。
[2004年07月17日01時59分]
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お名前: 四角五角
新「日本史ボード」初の書き込みちょっと緊張しますね。
さて、法隆寺です。世界最古の木造建造物として国宝なのはもちろん日本で最初のユネスコの世界文化遺産に登録されている法隆寺です。
今日の新聞によると法隆寺は一度火災に見舞われている事が確かになったそうです。この事は「日本書紀」にも書かれていましたが、物的証拠が無く論争の的になっていました。しかし、年輪年代測定法と高性能のデジタル技術により確認されました。しかし、金堂の天井板だけは年代が古く論争の種が出来たようです。ちなみに、金堂の天井板は六六七−六六九年、五重塔の木材は六七三年ごろ、中門の木材は六九九年ごろの伐採と判明。建設は金堂、五重塔、中門の順ということも分かったそうです。
にしても、法隆寺再建説があったなんて初耳でした。
[2004年07月16日21時10分]
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