記事タイトル:鄭和は世界一周したか?

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お名前: ニコ   
マゼランの艦隊は「地球が丸い」ということを世界一周で証明しましたよね。

鄭和の艦隊はそれを大衆に証明したのでしょうか?

[2002年12月26日 14時5分34秒]

お名前: がんばれ 蜂の子王!   
 関西では、足軽から関白になった豊臣秀吉が、
立派な人といのが、根強いですね。
 関東では、一介の素浪人から、大名になった、
北条早雲が、立派な人というのり(あえてノリ)で
昔の教科書は書かれていました。この枠組みを壊さなければ
いけないというのが、現代ですね。
 北条家は、関東ではそういいう扱いでいいのですが、
衆や党という組織原理の違いまで動員してこの枠組みを
維持しようと四苦八苦が、現状ですね。
 鄭和は立派な人というのは、中国の中等過程の教科書の
取り扱いでした。
 日本では、同じようにすると現在は、北条家は、室町幕府
政所頭人に出所して、側用人からお供衆になり政所を去り、
岡山の政所用人を動員して北条家を作ったということになって
います。
 微妙に違う、このノリに乗ってもいいかなと。
 おっと。バトルアーツの雰囲気になってきました。
 がんばれ、元気だせってどういう意味なんだ。

[2002年5月4日 11時9分43秒]

お名前: 鄭和は立派な人   
 イスラム圏と中国の交流を深めた人として、
偉人と呼ばれている鄭和ですね。
 世界一周は、趣味の類ではないですかね。
イスラム文化は、かなり早くから中国に入って
いますが、5層の絹を示して、遼の戦術を見破った
人物は、確か、唐代の南京、上海?の知県だったと
おもいますよ。今でも、旧市街が残っていれば、
イスラム様式の水路網も見つかるはずです。
 なんでも、水路の幅を方一丈にすべくとかやって
失脚したとか。あんま、古いからというのでは、
面白味にかけますね。
 宦官でありながら、立派な人という評価が、
面白かったな。今回のイギリスの発表は、上記の
記事との関連ではないでしょうか。
 マゼランが、モロッコで戦争に巻き込まれ、
足の自由を失って、ポルトガルとスペインの狭間に
さまようようになったことが、ヨーロッパ文化圏には、
ショックなのではないでしょうか。
   しばい

[2002年5月3日 8時8分1秒]

お名前: 広嗣   
 「マゼランの世界一周」といっても、マゼラン自身はフィリピンで横死してい
ますから、正確に言えば、マゼラン自身が世界一周をしたわけではないです。

 重箱の隅をつつくような話は置いといて(\(^^\) (/^^)/)、結構今
の世界史教育に「欧州中心史観」がしぶとく生き残っていると思います。といっ
て、逆に「日本賞賛史観」に跋扈されても困りますが。

[2002年5月3日 0時41分3秒]

お名前: 四角五角   
 鄭和の航海記録が多少なりとも残ってたのは驚きでした。鄭和の航海記録も、航海した船の
造船技術書もかなりの部分が名前は忘れましたが宦官を嫌悪する勢力によって燃やされたと聞
いていたので・・・・。まあ、他にも理由があるのですがね。大規模の船団は国家財政に大き
な負担を強いていたとか。でも、まあなかなかに全てを燃やし尽くすという事は難しいもので
すね。しかし、難破船があり、現代にその姿を見ることが出来るとは不思議な気分です。博
多沖に元寇の船の残骸があるというのだからおかしい話ではないのだろうけどね。

 そうそう、鄭和はATTILAさんが言われたとおりイスラム教徒です。おまけに、上の文
章でも触れたとおり宦官でもあります。永楽帝の側近として活躍した人物です。

 

[2002年5月2日 23時53分46秒]

お名前: ATTILA   
 歴史の教科書では、初めて世界一周の航海をしたのは1522年、
マゼランのスペイン艦隊だったということになっているのですが、
じつは、それより100年ほど前の1423年ごろ、明(中国)の
鄭和の艦隊が世界一周していたという調査結果をイギリス人の研究
者が発表したとか・・・

 定説では、前後7回に及んだ鄭和艦隊は、アフリカ東海岸まで遠
征して引き返したことになってるのですが、イギリスの退役海軍将
校で歴史学者でもあるガビン・メンジース(Gavin Menzies)が、
現存する鄭和の航海記録を調べなおしたところ、艦隊は1421年
3月から1423年10月にかけて世界一周の航海を行い、艦隊の
一部はアフリカ南端から北上してカリブ海沿岸、今のカリフォルニ
ア沖などにまで達していることが分かったという。

 ガビン・メンジース(Gavin Menzies)氏が証拠としているものと
しては、カリブ海やオーストラリアの周辺で巨大な古い中国の難破
船が発見されていること、イタリアのベネチアでは(コロンブス、
マゼラン以前の)1428年にアフリカや南北アメリカ、オースト
ラリアを含めた正確な世界地図が存在していたこと、鄭和の艦隊は、
六分儀を使って自らの船の位置を記録しながら航海していたが、コ
ンピューターによるシュミレーションで当時の南十字星などの位置
を再現し、鄭和の航海記録と照らし合わせたところ、オーストラリ
アや南極、南北アメリカの沿岸などの場所が浮かび上がったことなど。

(出典;(というより、丸写しかもf^^) )
(「田中宇の国際ニュース解説」http://tanakanews.com/index.html )

 なお、鄭和より前にアラブ商人が世界一周していたかもなんて言っ
てますが、オイラは、それもまたありなんと思います。

 そもそも船というものは、航洋能力のある船に航洋能力のある乗
組員がいれば、何処にでも行けちゃうわけで、要は、造船技術とや
る気なんすよね。

 ”コロンブスのアメリカ発見”とか、”マゼランの世界一周”な
んて、記録という意味じゃ、あんまり意味ないと思うケフコノゴロ。

 なお、鄭和さんは「色目人」(しきもくじん)なんだそうで、こ
れはビックリの新知識。

 なおなお、鄭和さん一族は、代々イスラム教徒で、父親はメッカ
まで巡礼した人だとか・・・

 ATTILA

[2002年5月2日 23時16分34秒]

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