記事タイトル:維新】七福神 スッレド2

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お名前: 恵比寿と弁財天   
 江戸東京博物館では、大黒天と恵比寿が、枡に入れて飾ってあります。
江戸のお店(たな)ではかつては、一般的だったのでしょうね。
 恵比寿は、夷とも書き、源高明が「西宮の左大臣」と呼ばれた頃に、
美作(岡山県、兵庫県周辺)から西宮辺りで創作されたとされてきました。
特に、広田社が関係が深いそうです。
 天孫降臨のはるか以前、イザナギとイザナミの第三子に蛭子というのが
おり、海に流されたのが夷三郎というのが語源とされています。
 なお、たどり着いたとされる場所は、知多から岡山まで多岐に渡ってい
ます。夷三郎といっても、神話では、第一子で、三歳まで立つこともままな
らかった為、この名がついたとされています。関西では、夷も夷三郎も、
同じだったのですね。
 弁財天は、インドのサラスバティが日本では、弁財天とされもので、
川や音(水の音)の神だったものが転じて、財力の神とされたのでしょう。
 恵比寿を西郷隆盛とし、弁財天を坂本竜馬としたのですが、坂本竜馬は、
海援隊を指揮しその貿易活動は、紀州藩も脅かし、実際、維新のきっかけ
となった大和の天誅組一揆では、紀州は、海事裁判(?)あり、陸奥宗光
は、幽囚、藩費払底と兵を動かすのもままならないほどでした。この争い
は、実際、坂本竜馬に倒幕を決意させる程のもおでした。維新の獅子と
呼ばれる人々のなかで、鹿児島に新婚旅行をするなど、決して、富裕では
なかったかもしれませんが、行動の自由を持った人だったらしい。政治的
には、土佐藩というよりも木戸孝允を「大兄」というような、当時としては、
上の方の兄という意味で使うほどの仲だったようです。
 話はかわりますが、西郷隆盛を恵比寿としましたが、奄美大島の愛加那の
存在が世間に知られたのは、割と最近なので多くを語りません。
 先日、両国で「七福神の宝石」というのを買ったのですが、毘沙門天を
象徴するラピスラズリが、小さいながら、二つ入っていたので大変、
うれしかったです。唐突ですがこれにて、おしまい。
  奈良県に寺社のHPもたまにチエックも面白いですよ。
  談山(たんざん)神社も七福神を取り上げていましたよ。

  しばい

[2002年8月17日 12時28分34秒]

お名前: 毘沙門天 2   
 大黒天を構造化するなんてすごい、発想ですね、
弁財天と大黒天は、異神と同一視されたり吉祥天と
か神道の宇賀神王と合祀されたりしていますからね。
 いま話題の天河弁財天社などの大きな弁財天では、
十六善財童子を弁財天に配し、弁財天には従う
宇賀神王には、ダキニ天を従えていたりと、大黒天
にも色々な役割を宛がわれ構造したりしたら、それは
すごい事になります。ははっ?
 毘沙門天には、さすがに仏教最強の守護聖天という
役割からか、そういう事はすくないですね。
 神道風なら、毘沙門天は、大村益次郎を当てるでしょうが
仏教では、やはり、木戸孝允(桂小五郎)となりますね。
上杉謙信のように、四条周辺の橋の袂にこもり、戦術を練ったり
(禁門の変の直後)や一説では、鳥羽伏見では、城之崎となって
いますが近江坂本周辺かとも言われる、空白期間に戦術を練る
ようなことしていますね。パークスやハリス、サトウといった
公使や商人とも交渉にあたり、政局と藩を動かせたのは、結局
木戸孝允一人に結果的には、なっていますね。
 維新の緒戦役では、活躍した諸隊も実は、毛利家から下された
賜刀と朝廷の学問所講師の資格を与え、高杉晋作にさせようと
していたらしいのですが、持病の結核からか諸隊との不和からか
指揮官も責任者も木戸孝允が決めたらしいですね。
 
 最近の研究では、盆踊りの選曲が原因らしいですね、
 太鼓でいくか、三味線でいくかという根深い問題
 らしい。好き嫌いといのではないので、処置為し
 だったらしい。ストリングス系好きということでも
 ないらしい。低レヴェルなんだなこれが。
  しばい

[2002年7月13日 22時46分0秒]

お名前: suchowan   
>大黒天神

最近すごい本が出ました。

彌永信美『大黒天変相--仏教神話学1--』(法蔵館、14000円)

大黒様の一筋縄ではいかない複雑な性格に構造主義をツールと
して使って、真っ正面から挑戦した大作です。

[2002年7月13日 12時3分9秒]

お名前: しばい   
 マハーカラー(大黒天神)2
 マカカラ(摩訶迦羅)は、シヴァ神の化身であり
宇宙の破壊神で、さまざまな様相と形式を具現する
とヒンドウーでは表されている、
両性具有のシヴァ、ヴィシュヌ神と一体化したシヴァ
パールヴァティと結婚するシヴァ、頭蓋骨を携えて
放浪するシヴァ、破壊と破壊もたらす生を司る神と
されています。
 仏教では、「孔雀明王呪経」にこのシヴァ神と
マハーカーラーとマヘーシヴァラが同じであり、
黒い大日如来が変化し生き血を吸うダキニ天を
退治したことによるらしい。重ねて言うことになりますが
日本では、唐から帰った最澄が、夢で大黒天を見た
ところから、近江坂本に最澄の見た大黒天が、
祀られるようになったと考えています。
 今回、スレッドを分け七福神について再論します。
 当時は、大黒天は、決して富の神ではなく、生き血を
吸うダキニ天を懲らしめる、憤怒の神でした。

  しばい

[2002年7月12日 21時33分14秒]

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