記事タイトル:建国記念日特集

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お名前: 江戸通   
 東海道先鋒総督府
   総督  橋本実梁
   副総督 柳原前光
   参謀  木梨精一郎
       海江田信義
 東山道先鋒総督府
   総督  岩倉具視
   副総督 岩倉具経
   参謀  板垣退助
       伊地知正治
 北陸道先鋒総督府
   総督  高倉永怍
   副総督 四条隆平
   参謀  津田信弘
       小林柔吉
 是に、従軍したのは武士63%、農民10%、商工者、浪人6%残りは、雑多
とあります。主力は薩摩藩兵、長州藩兵、所謂(いわゆる)幕末諸隊ということ
になります。他に赤報隊など関東で活躍した倒幕派の志士が、東山道付き、東海道
付きということで配属されていました。
 江戸城無血開城というのは、3月中旬ですので京都には一体どれだけの戦力が残
されていたのか難しいのですが、岡山藩がこの事変の時に、所謂攘夷運動に荷担して
いた事が発覚し、長州藩兵が急行するやいなや藩兵が吸収されています。
 大河では取り上げられていましたが、徳川慶喜が宿舎のように使っていた岡山藩の
藩論が分裂し国元では攘夷激派が孝明天皇の死の直前に出した、無謀な攘夷追放に
「存意有り」と下された衝撃の為、中国地方の諸藩はいっきに倒幕ということで、実は
まとまっていたようです。筆頭老中板倉勝静は、大政奉還後帰国したおり、欧州留学を
試み乗船を阻止されたというのもこの頃かと考えられます。岡山藩では、ありません、
念のため。(寅さんシリーズ第4作に続く、、、なんだかな?)
 参考文献 「維新の構想と展開」 鈴木 淳著 講談社 刊
 p12〜p29 「明治の藩」〜「公義」
明治4年の政変まで、一応首班は三条実美と言う事です。

[2003年2月23日 19時34分31秒]

お名前: 江戸通   
 鈴木 淳氏の説によれば
一 広く会議を興し万機公論に決すべし
一 上下心を一にして盛に経綸を行うべし
一 官武一途庶民に至る迄、各其の(おのおのその)志を遂げ、
  人心をして倦まざらしめん事を要す。
一 旧来の陋習(ろうしゅう)を破り天地の公道に基づくべし
一 知識を世界に求め、大いに皇基(こうき)振起すべし
 と明治元年三月十四日に、「天神地祇御誓祭」(てんじんちぎ
ごせいさい)を京都御所紫宸殿にて執り行い。後、督(かみ)
白川資訓(すけのり)が、昇殿を許された公卿、諸侯を招き
神卸を執り行い。「今よりは、天津神の御言寄(みことやさし)の
髄に天下の大政(おおまつりごと)を執行する。」と言い放ち
天皇が退出した後、これに違うものは、天神地が刑罰をはなつ
と参周したものに言いまわしたとされています。
 天皇は、別室で我が国に未曾有の変革をなさんためなりと云々。
これが、五箇条にご誓文だと呼ばれたものです。
 先に、徳川家より大政奉還の言上を受け、王制復古を約した事に
なっていたので、行われた行事ではありました。
 しかし、参周した朝臣は、昇殿した公卿と領地を皇室に献上した
2千石以上の諸侯であり、京都ではこれ以上の行事が出来ないということで
維新志士と呼ばれた元勲らを集め、改めて大阪で、神武天皇以来の
東征を行うという、王制復古の制約を行ったようです。
 まだ、江戸には、彰義隊や官軍の倍はいるという朝敵がいるなかで、
行われたということです。
 元勲や維新志士は、五箇条のご誓文を聞いていないかもしれないのです。

   恐々心下   江戸通

[2003年2月11日 20時26分20秒]

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