お名前: 江戸通
天竺徳兵衛 1612年??
江戸前期、二度にわたってシャムへ渡航し、東南アジア交易
に携わったという播磨高砂出身の船頭。晩年は、宗心と号して
大阪に暮らし、1707年(宝永4)に長崎奉行所に提出した
渡航記録が「天竺徳兵衛物語」として世上流布したという。
ただし、その内容を事実とするには、検討の余地がある。
以上、岩波岩波日本史辞典 より
また、歌舞伎にも4世鶴屋南北に、同名の怪談があり、水中
早代わりの演出などがあり、夏の怪談として定番だったことも
あるらしい。
江戸時代から、ウオーターボーイズがいたということでしょうか?
舞台で、シンクロしてしまうというあたりがすごい怪談らしい。
ちなみに、史実では、ヒーロは、刺客に襲われ失明したうえ、
片腕を無くし酒浸しの生活を送り、丹下左膳のモデルになったとか。
一説には、新政府軍参謀世良修三、仙台藩攻撃司令官と同じように
晩年は、護衛と愛人を惨殺され無為にすごしたという人もいるらしい。
ちなみに、世良修三は、山口県出身の漁師のでであり、新政府に
出仕し、仙台藩攻撃に弱腰の新政府にあって主戦論を唱え参謀に抜擢
された人物、尚、庄内鎮圧問題が先に噴出した為、兵力が枯渇した所
を仙台藩の藩兵に夜襲され、当時は本人の死生も不明だった。
江戸通
[2004年04月01日09時15分]
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