記事タイトル:コリアの起源は日本?

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お名前: 広嗣
 本の内容については読んでいないので何とも言えませんので、本題から外れますが、歴史観について思うところを書き込みます。

 歴史観は人や時代によっても変わるもので、「歴史観は人格権だ」と思っています。それぞれが描き出す歴史像は、それぞれの人生の中で培われた主観により編み出されるものです。ある主観で正しいと信じる歴史像が、別の主観から見れば誤りと思うことは珍しくありません。後はその誤りと思う主観に対する「寛容」の度合いだけです。

 インドの古い話にこんなのがあります。ある盲目の僧侶が3人、象に触りました。一人は鼻に、次は足に、もう一人は尻尾に触りました。鼻に触った僧は、象は管のようだと、足の僧は、柱のようだと、尻尾の僧は、(確か)箒のようなものだと言いました。現在では「差別云々」のほうが先行しかねない話ですが、人が「真実」と思っていることが如何に狭い範囲の中での「真実」でしかないということを示す喩えなのだと理解しています。歴史を観る目も、これと同じことが言えると考えています。

 コリアの「主流派の」歴史観は、コリア人が伝統的に持っている日本への優越感、よく言えば民族的な誇りと20世紀前半にその日本に支配されたことへの反発が背景にあります。更に不幸なことに、南北共に建国の際に権力の座に就いたのが、外国が連れて来た、国内に運動基盤のない人でした。基盤がないだけに、自分たちの権力を正当化するために反日民族主義に傾斜することになります。こうした中で教育という名の下に「嫌日」の洗脳を受けた人々にとって、「日本起源」や「日本の影響」に対して拒絶反応を見せるのは、不思議な話ではありません。教育という名の洗脳により生じる「視野狭窄」は、コリアだけの話ではなく、日本は勿論、世界の至る所で起きています。ひどい場合は、紛争や戦争になり、更にひどくなると、「民族浄化」に発展した例さえ見られます。

 塩野七生によると、カエサルの言葉に「人は見たいと欲するものしか見ない」という言葉があります。この言葉は人の性質をうまく言い表しています。韓国で「主流の」歴史観も、日本の「自由主義史観」も、「自虐史観」もみな見たいと思うものにしか目を向けていない点では同じです。


                                  広嗣

[2003年09月13日01時18分]
お名前: コンコン
 古本屋で「朝鮮幽囚記」を買った。
これは1653年オランダ人が台湾から日本に向かう
途中。嵐のため李氏朝鮮の済州島に流されて、以降朝
鮮の法律により朝鮮から出られなくなり1666年日
本に脱出するまでの話で、その中で面白い話が4点。

1.現在韓国では、頭文字がKかCかで揉めているよ
  うですが、当時中国も朝鮮も李氏朝鮮のことを「朝
  鮮」と呼んでいましたが、日本ではコリアと呼んで
  いたので、オランダ人もコリアと呼んでました。
  
2.現在韓国では対馬は韓国領といっていますが、対
  馬は朝鮮時代では、朝鮮領だったのが、日本との
  交渉で、日本領となり、済州島は、朝鮮領となっ
  たと伝わっていた。

3.現在韓国では通信使は、日本に文化を伝えたとい
  っておりますが、当時の徳川幕府は、属国として
  扱っていた。

4.現在韓国では、今の日本人は、百済の末裔といっ
  ていますが、朝鮮時代は、日本人の血を引くか、
  日本人の子孫であると称していたという。

これは江戸時代のヨーロッパの認識だったようです。

 現在の韓国の歴史認識はどこか狂っていると思うの
は、私だけですかね?[2003年08月30日19時24分]
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