記事タイトル:忍者「ハットリ君」

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お名前: あ
友達が忍者の末裔だった、家立替る時に小判がツボに入って出来た。
数枚貰った、質屋に一枚売ったら十万前後になった。
[2003年12月01日20時15分]
お名前: やっぱり実写版でした。
 TVでは、かつて実写版で忍者「ハットリ君」をやっていました
アニメの絵を意識しすぎて大変な作品だったことを覚えています。
 年がわかるなあ。今回も実は実写版でした。登場人物もあれから
数年経過した設定になっているそうです。
  追伸
 ご朱印ですが、実際は、山岡鉄船が携行しており、別れた時を
狙われたらしいですね。現在、池田屋はどうなっているのかな。
写真はとれるのかな?大村益次郎遭難の碑は撮ってきました。
   江戸通
 [2003年08月10日06時16分]
お名前: 江戸通
 ハットリクンこと、香取「勇」が主役のハットリ君の
アフレコに挑戦です。
 思いだしたのは、浪士組の組頭(くみかしら)清川八郎
が、幕府御朱印を携行し京都に入りながら攘夷を決行しよう
と薩人と徒党を組みだしたため、老中から暗殺されてしまう
一件です。
 誰か、覚えていないのですが、単独の攘夷は、明らかな
定法違反で刑死でいいはずなのに、御朱印の為か、敢えて
ご朱印を手放した時を狙って、暗殺したのです。

  魁てまたさきがけん死出の山
  迷いはせまじすめろぎの道

 これは、清川八郎辞世の句ではないのですが、常日頃、こんな
歌を歌っていたようです。
 逆に、隊士長倉新八は、 

  武士(もののふ)節を尽くして厭くまでも
  貫く竹の心一筋

  と辞世を残しています。
 正直言って、前の歌では、笑っちゃたんですよね。これでは、
いかんと本も読み直して見たりしてます。
 坂本竜馬の終焉のち寺田屋に行っても同じだったのを、覚えて
います。近藤勇局長は、忍者のようなカダビラを愛用していたよう
ですね。実際、三回以上は使ってるなと現場の人も言ってました。
詩の話ですいません。
 追伸
  秋葉原は、現在鬼門に入ってますので、今回パス宇。

  江戸通[2003年07月18日21時20分]
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