記事タイトル:彰義隊墓所閉鎖

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お名前: 名脇役
坂之上田村麻呂を助けた先祖の末裔です。
ね○た祭りの原型は、我がご先祖様によってなされたものです。

今ある発祥の地と歴史自体が大きく歪曲されています。
先祖の名誉の為、初発言させていただきます。

パソコンが苦手なので、大体の説明に留まらせていたします。
坂之上田村麻呂とは露知らずに一食一飯した後、農民達と豪族と共にハッタリ軍隊を作り、大軍勢のフリをして敵を撤退させたって処です。
そして、坂之上田村麻呂直々に褒美&苗字に「田村の性」を受け賜ったのです、
我が家一番の家宝は苗字です。
 
俺が生まれる前にテレビの取材が来たらしいんですが(坂之上田村麻呂の子孫)って事で。
子孫じゃないです、縁の者ですが違うって追い返しました。
黙っていれば、史実が歪曲されているじゃないか!
浅虫温泉が発祥の地に成っているがとんでもない間違いです。
ね○た発祥(発案)は我がご先祖様ですそして浅虫には、?征伐の際に力を貸した当時の豪族の血脈がいます。
母も分家の血脈なので間違いありません。
よって、浅虫は戦場であっても発祥の地ではないのです。
[2003年12月01日21時30分]
お名前: ATTILA
 おっと、母方の祖父さんは次男ですから、曽祖父まで
「家系は直系」ですか・・・

[2003年06月15日17時36分]
お名前: ATTILA
>その多くが「われこそは南朝忠臣だれべえの
>直系子孫だ」というものです。
(そんしさん [2003年06月07日22時24分])

 このへんの感覚って面白いですね。

 小生は「直系」じゃないもんで、彰義隊も新撰組も
見物席というか、「小河ドラマ」みたいに見てますが・・・

 しかし、「直系」ってなんでしょうかね?

 小生のケースであれば、母方は三河以来、祖父さんの
代まで「家系」は直系なんですよね。でも、何回か養子
が入ってますから、「DNA(血統?)直系」じゃない
ことは、ほぼ確実ですよね。

 家系も血筋も直系じゃないですよね。

 父方の話にしても、小生の四十数本のDNAの一部は
近藤勇のDNAの一部と同じ可能性は否定できませんが、
これじゃぁ直系の血筋とは言いませよねぇ。


 世の中で「直系」と言われるものは、家系と血筋のご
ちゃまぜ良いところ取りじゃないんでしょうか?


 そういえば、従兄弟の本家が「直系」を名乗ってます
ね。なんでも、坂之上田村麻呂?の東征軍に従軍して、
帰りに一族が今の在所(埼玉県所沢)を授かって土着し
たそうです。

 ま、本人達は、坂之上の田村麻呂か、橋の下にたむろ
まるかわかったもんじゃないよ(笑)!とか言ってます
が、家系は後北条まで遡れるみたいです。

 こういう場合は、一応、坂之上田村麻呂軍従軍兵の
「直系」といえるのでしょうかね?

[2003年06月15日17時26分]
お名前: 補足、付けたし、蛇足
 パトロンというと、現代語のようですが選挙の時に、耳打ちして
候補者を助ける輩あたりが、古典ラテン語だったのが、庇護者や
金銭を貸し付ける人やさらには、人に対する投資をする人をさすように
なったということです。
 この場合のパトロンは、当時の外国語(日本)で銃弾の火薬を指す場合
が多く、諸隊でも女性には、この薬きょうや火薬をさすパトロンという
外来語が使われたというのが、当時の蘭学や洋学者の意見ですね。
 最初から、パトロンというのは、ダブルミーイングってやつだったのですね。
 まあ、とうじ日本には、ラテン語の知識がある人なんかいなかった訳で、
考えすぎというか、誤解を恐れるあまり蛇足説明までしました。
   江戸通[2003年06月08日22時18分]
お名前: 江戸通
 彰義隊は、江戸無血開城を幕府と成し遂げたという見方が、
あるようです。天野八郎という人が隊長だったので、こういう
評価があって当然だと思います。

>評価を受けたのは、だいぶ後のことかと思いますから、
>「実は我が家はあの人物の系図だ」と、
>再評価されてから自ら名乗りでたという事なのではないでしょうか。
 江戸進駐時は、官軍の布陣からすると彰義隊の存在なくして江戸に進駐
すらできなかったというのもうなずけます。大体、この時点での官軍は、
諸隊のままで、官軍にも編成されてないものも多数いたようですから。
 しかし、天狗党との抗争で結城を追われた水野家を匿ってからは、
この諸隊との抗争、新撰組の参戦、大村益次郎の戦略等に巻き込まれ、
上野戦争へとあいなります。戦争といっても、大砲の打ち合いが、殆ど
らしく、秋田藩、庄内藩あたりの砲座から西郷像めがけて撃ちまくった
という事らしいですね。まだ、大阪商人から、金を巻き上げ損ねていた
時期ですから、新政府もパトロンを組織してパトロン隊を投入する、
近代火力戦だったらしいですね。
 当時の縁台が、アームストロング砲弾が保存されているのを、見たことが
あります。そこから、砲座の位置が判明したとか?
 兎に角、悪疫の流行もあり、情勢は毎週毎週変わるというのは、大変な
ようです。
>たまに北朝の名もない武士の子孫という場合でも、
>「実は内緒で護良親王(後醍醐天皇の子)を生きてかくまっていた」
 それは、名のないなんていうのは、おそらく嘘でしょうな。生意気を
いうようですが、上記の天狗党がらみでは、ないでしょうか。ただ、
 処刑されたとされる時期には、征夷大将軍候補ということでは、評判
も地におちていたのも確からしく、元天台座主として価値があったのでは
ないでしょうかね、同じように青連院門跡から、将軍になった足利義教も
独裁将軍でしたが、還俗直後は、同じような評価だった覚えがありますが
、、、(いずれも当時)
  江戸通
[2003年06月08日16時42分]
お名前: ヘイ
>そんしさんへ

「内緒で」とありますから、さほど問題はないような気もしますが。
おおっぴらにやってれば、確かに問題ですわね。ばれたら、えらいことに。
「内緒」の程度が問題なのかな?

「内緒でかくまう」事情というのがよくわからないので、何とも言えませんが。
[2003年06月08日15時19分]
お名前: そんし
そういえば、南北朝もののHPは珍しいためか、私のHPには、毎回たくさんのメールが来ますが、その多くが「われこそは南朝忠臣だれべえの直系子孫だ」というものです。こう言い切ってしまえる人からのメールというものは読んでいて気持ちがいいので、「誇りに思えるご先祖がいてうらやましいです」と、返事を書くようにしています。
一番多いのが新田義貞の子孫。次が楠木正成の子孫。子孫メールの八割くらいはこのふたりですね。
よくわかんないけど南朝武士の子孫だったらしいので調べてほしいなどというメールも多いです。たまに北朝の名もない武士の子孫という場合でも、「実は内緒で護良親王(後醍醐天皇の子)を生きてかくまっていた」などということになっているようです。「あのーーー、このHPのタイトルの足利尊氏って北朝の代表者なんですけどご存じでしたか」とは、ちょっと怖くて聞けません。
[2003年06月07日22時24分]
お名前: グーグー
メールマガジンのまぐまぐで新撰組のやつが新刊されたみたいです。
著者 七☆月子さん 名古屋方面の方のようです。
興味ある人はどうぞ ちと すれ(レス)違いのようですが、[2003年05月31日05時37分]
お名前: ATTILA
 マスゴミが騒ぐだけですよ。

 歳三の義兄(姉の嫁ぎ先)の佐藤某さんご子孫が、
日野市の自宅を新撰組資料館にしてますね。HPあ
ります。

 土方本家は、都下某市(って、下石原付近ですが、ど
こで知るのか、観光ギャルが塀越しに覗くので、プライ
バシーもないとか(^0^))で、郵便局やっておられます。

 うちの系(父方)には、新撰組はいないですが、ヒィ
ヒィヒィ祖母さんは、近藤勇の実家から嫁に来てます。
勇とは従兄弟になるらしいですね。

 ま、こんなことは、地元じゃ珍しくもないことで、
本家の町内には、千人同心の子孫が三軒くらいあり
ますし、自慢するような話じゃありませんです。
 [2003年05月29日23時47分]
お名前: マック
そういえば、ずいぶん前に
tv「笑っていいとも」に、土方歳三の子孫と名乗る視聴者ゲスト
が出ていた。正確には、土方歳三の実兄の直系みたい。

まあ 明智光秀の子孫、石田三成の子孫もいるみたいだからね。

お久しぶりの マックでした

[2003年05月29日05時49分]
お名前: ATTILA
あさひこむによると、上野にあるのは「墓」と「石碑」
らしいのですが、正確には遺体を火葬した場所らしいで
すね。遺骨は南千住のお寺が埋葬してるそうです。

 で、上野方面はお守りしてた隊士のご子孫が、高齢で
管理ギブアップされたというのが、真相らしいです。

 彰義隊の同窓会もないようで、まことにお粗末な・・・
(と、他人事みたいに言ってもいいのか?(苦笑))

 石碑や「墓石」は残るようだから、いいんじゃな
いですかぁ・・・

 それにしても、目の前の銅像は目障りですっ!!

 韓国軍や北朝鮮軍が侵略してきて引き倒されても、
文句言う気はありませんです。(笑)

 もっとも、手伝ったり、引き倒された後で蹴飛
ばすような気はありませんが。




 [2003年05月28日22時57分]
お名前: ATTILA
 多分、前者でしょうね。

 男子を残して当主と隠居が出征したか、当主と子が男孫を
残していったのじゃないかと思います。

 養子というのは、その当主か隠居じゃないかと思ってるの
ですが、なにしろ小生は傍系ですから、深く聞いたことはあ
りません。

 ただ、肩身が狭い云々はないと思います。

 公式記録では賊軍ですが、現実は薩長土肥テロリスト軍
の不法侵略ですから(^0^)、米英軍が進駐しているアフガン
やイラクみたいなもんでしょうから、元タリバンとか、元
バース党だったなんちゅうのは隠す必要はないわけです。

 いずれにしろ、上野の彰義隊顕彰碑の戦死者リストにな
いんですねぇ。ということは、会津方面で野ざらしになっ
たのか、ひょっとしたら榎本海軍に逃げ込んでたのか・・・

 そのうち、彰義隊同窓会?にでも問い合わせてみようか
と思っとります。[2003年05月27日16時29分]
お名前: そんし
「なぜオイラがいるのか」という事ですが、まず考えられるのは、すでに子供もいる分別盛りだったのではないかという事。

あとは養子説ですが、まあ賊軍の家ともなれば、当時は肩身の狭い思いをしたはずで、夫婦養子を取らねば家系が途絶えると騒ぐ親戚は、無かったのではないでしょうかね。

彰義隊が哀れを誘い再評価を受けたのは、だいぶ後のことかと思いますから、養子というより、「実は我が家はあの人物の系図だ」と、再評価されてから自ら名乗りでたという事なのではないでしょうか。
[2003年05月27日11時17分]
お名前: ATTILA
 五月二十五日に、上野の彰義隊墓所・資料館が閉鎖に
なったそうです。

 うちの母方が、彰義隊なんすよねぇ・・・

 歴史の彼方のことで、よくわかりませんが、多分、小
生のヒィヒィイィ祖父さんにあたる人と、ヒィヒィ祖父
さんにあたる人が戦死して、墓所には髪の毛と爪が収め
られているという話です。

 そこで、疑問に思うのは、なぜオイラがいるのか?つ
うことなんすが・・・ (笑)

 どうも、親戚から夫婦養子にして、家系を維持したよ
うですね。もっとも、これも想像でして、ほんとのこと
はわかりません。

[2003年05月26日23時45分]
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