お名前: 速報 織田日報特別版
最近の織田信長総合辞典(ヴィジュアル版)を調べていると、
手取り川の戦いが、無かった。
能登畠山攻略を速攻で決めた、上杉謙信が、南下するというので
手取川北部で在陣していた柴田勝家が、退却中に、追撃され被害が
多大に出たと変わっていました。
そういえば、柴田勝家が主役の歴史関係の本にしか、この戦いを
乗せているものは、少なかったです。
羽柴秀吉が、なんで処分されたか解らないですね。信長さんは、
勝手な人は嫌いなのか。信長記は、他にも作者がいるのかも、
大田牛一の「信長公記」は、みの攻めで無駄なく二階から矢をいた
事を誉められたことが思い出で、弓組の主張というあたりに、
当たったほうがいいかも。
しっぱいでした。なにがって聞くなよ (・・;) しばい
[2002年5月19日 12時33分27秒]
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お名前: しばい
手取り川を背に背水の陣で望んだ、
柴田勝家を手玉に取り、戦傷者3000人
にも及ぶ被害を出し、府中城(えちぜん :現福井県)に
撤退。
羽柴秀吉は、家中に正気のものは一人もいない
と気炎を穿き「全面撤退」を敢行。軍神謙信に
勝てないということか、背水の陣が弱いという
ことなのか?
(・・;) (;・・)
信長公記には、七尾の畠山が敗れるを知りとか
あるらしい。予言かも。 (゜-゜)
しばい
[2002年5月14日 22時21分47秒]
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