記事タイトル:東夷の世界の漢文化(19)

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お名前: 素里奈
先に「「抵触する」云々と陳述したので、その理由を述べる。
『古事記』に、応神天皇の時、百済から王仁(208?〜もしくは405)が来て、論語十巻と千字文一巻を献上した、とあるが、論語はともかく,周興嗣(502〜549・武帝代)が初めて筆にしたとする千字文を持参できるわけ無い。同じ【字書】でも、許慎の【説文解字】ではないか、これによって、役所の正式文書の字体をそれまでの金文から漢字に変更。要約すると、『古事記』では、神功皇后の時まで、外国のことは知らないことになっているから、中国の古代文字を既に使用していたとすると、『古事記』の撰者が記録を勝手に綴ったことが問題になるので、【説文解字】を「千字文」と書き変えた。と、談じる学者(レジュメ所有)がいらっしゃる。   筆者(素里奈)は、周興嗣筆以外にも、鍾ヨウの千字文,子雲の千字文,胡簫の千字文、作者不明としては「テン書千字文」草書千字文、演千字文などが『隋書』の経籍志にうかがうことが出来ることを指摘したい。他に蔡遠の注千字文等など。要は、王仁博士が持参したとする千字文は、周興嗣の筆になるものと限定して論じることは必ずしも的を射た論説では無い。王仁が持参したのは、東行時身辺で使用していた「千字文」あったかも知れない。  ・・・金文・神代文字・急就草・鬱岡斎墨妙・・・便宜上省略。

[2006年08月10日01時14分]
お名前: 素里奈
遥か、遥かな昔,古代朝鮮に霍里子高という船頭が、渡し場を預かっていた。ある日、前例のないことがもちあがった。酒壷を握った老人が、止める隙もあらばこそ、いきなり川の中に飛び込むともなく、水面を歩くともなく、どんどん深みへ沈んでしまった。あとを追って来たその人の妻が、声をからして、戻ってくるように哀願したのはいうまでもない。愛する夫の死に目を目のあたりにして、その妻は気が動転してしまった。悲しい歌を口ずさみ、琴を奏でながら、夫が沈んだ場所に引かれていくようにして、入水してしまった。
[2005年03月20日01時15分]
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