記事タイトル:真田幸村について、、、、、、、

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お名前: 沖縄の彪
めちゃくちゃカッコイイ」
赤鬼といわれたほど徳川が恐れていた
[2012年02月17日22時29分]
お名前: 信幸
俺は、がんばった・・・はずなのに・・・。もっと長生きしておくべきだったか・・・。
[2010年07月26日21時23分]
お名前: 幸姫
かっこいい人ですよねー。
400年前に戻って会ってみたいくらい好きですよ。
[2010年06月19日19時42分]
お名前: ら
創作です。何がって? まず名前から・・・・。
真田幸村のモデルとなったのは真田信繁です。
信繁本人が幸村と名乗ったという事実ない。
真田幸村は江戸時代の講談話に登場する過度にヒーロー化された
キャラクターで、三国志演義の関羽見たいな位置づけです。
彼の活躍も創作、もしくは大坂の陣の豊臣方で活躍した毛利勝永などの功績が、
幸村のものになっているという説があります。

そして真田信繁の行動が忠義によるものであったかは知りませんが、
あの時代にはこのような言葉があったそうです。
「生き過ぎたりや25」
大坂城に入城する牢人たちが口々に呟いていた言葉といわれています。
意味は文字通り、「無為に25歳過ぎても生き残ってしまった」。
この時代、多くの武士は戦いで名をあげ、自身の武勇を諸国に轟かせ、戦いで死ぬことを目的としていました。
しかし関ヶ原の合戦以来、すでに戦さがなくなり幾久しく、名を残す機会が失われた牢人には仕官のあてもない。
そんな時に訪れた大坂の陣が、最期の戦いになることは誰の目にも明らかだったでしょう。戦いの無くなった世では名を上げる機会もなく、生きる価値のない世の中だと大坂城に集まった牢人たちは考えたのだと思います。
真田信繁に忠義の心がなかったとは思いません。
ただ信繁個人は、49歳までにあげた功績はほぼなく(二度の徳川撃退は父親の昌幸の功績であって、信繁はその歯車の一つであったに過ぎない)。
自身の名を轟かせたいという一心で最後のチャンスに縋りついたとしても不思議ではありません。きっと両方でしょう・・・。

ちなみに真田幸村(信繁)の名が本人の活躍以上に周知されているのは事実です。
同じく、大坂の陣で類まれな活躍をした毛利勝永の名前を知る人間は少ないでしょうから・・・・。
ちなみに毛利勝永の活躍について、江戸時代中期の文人・神沢杜口は、自身の著した随筆集『翁草』のなかでこう賞賛しています。
「惜しいかな後世、真田を云いて毛利を云わず」。


[2010年05月19日23時53分]
お名前: 神
資料もひとそれぞれちがうので昌幸さんは私と異なる資料を読んだのでしょうなのに忠義などないときっぱり決め付けるのはどうかとおもいますがね
[2010年03月27日20時04分]
お名前: 昌幸
真田家は家名を存続しようといろいろな家についた家。
幸村は関が原の戦いの時に兄の信之が徳川方に付いたため豊臣方に付いただけで忠義などない。大坂の陣では一度付いたから寝返らなかった
他を言えば幸村は勇猛で紙で大砲を作って十発ぐらいうてるのを作るくらい武器を作るのがうまいそうだよ
というわけでカッコいい
文章歴史資料からです

[2010年03月26日10時46分]
お名前: 神
豊臣への忠義を守り抜いた義将ですねなぜなら徳川家康に信濃一国で寝返れとの要望に追放された私を大坂によんでくれた秀頼様にはとてもかんしゃしているたとえ信濃一国といわれようが寝返るわけにはいかないといったからです
[2010年03月11日19時13分]
お名前: 真田義幸
真田幸村についてどうおもいますか?
回答お願いします!

[2010年03月08日20時24分]
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