記事タイトル:縄文時代の交易について

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お名前: 銀行のみっちゃん
ATTILAさん、南方からのルート『黒潮圏の考古学』見ました!。凄く参考になりました。
北方からの江戸通さんの話に、知恵が着き、其の上、海上ルートの流れに、重ねて新たな情報源を御教授頂き、勉強挿せて頂きます! 小生も退職後、俄か歴史研究に興味を持ち、少しずつ知識を身につける努力をしていますので、今後共ご指導お願いします。
[2004年11月03日06時43分]
お名前: ATTILA
 えーと、縄文時代くらいの交流・交易の話題では、小田静夫さんのサイト「黒潮圏の考古学」が見ものかと・・・

http://ao.jpn.org/kuroshio/index.html


 小田静夫さんは、例の「前期旧石器時代」捏造事件について、大騒ぎになる以前から問題点を指摘し続けた方ですね。当時の前期旧石器時代批判も読み応えあります。つうても、わしゃ読んでもわからんかったが・・・ (^^ゞ
[2004年11月03日04時08分]
お名前: ATTILA
 商人と言ふのは、流通業(売買兼運送業)ですよね。イメージ的には木下籐吉郎とか、紀伊国屋文左衛門とかかな。水戸黄門ドラマで言えば、悪商人の越後屋(^^ゞ

 さて、古代で生産に無関与で、純粋に売買兼運送業なんてありえたでしょうかねぇ・・・
[2004年11月03日03時59分]
お名前: 銀行のみっちゃん
江戸通さん、早速ご案内のHPを開き見ました。北方民族の分化コーナーのおるりすと(1993−2002)スクロールして、面白いテーマの記述・展示案内特別展示・出版物シンポジュウム報告書のタイトル等の内容に興味を引かれますね!大陸移動の民族のルーツを探索・関連文明の説文は非常に参考になりました。有難う御座いました! 今後共宜しくお願いします。
[2004年11月03日02時43分]
お名前: 江戸通
 僕は、
http://www.ohotuku26.or.jp/hoppohm/
 が断然いいと思うよ。
  最近、関西元気文化圏を言う人が、多いんだけど
  黒曜石、石器、宝石の類は、アメッリカ文化圏の影響が
  大きくて、室町時代まで広く遺物がででいるけど、石の
  年代は、現状無理。文化から探ろうという試みなんだ。
   
  江戸通
[2004年11月02日21時03分]
お名前: 銀行のみっちゃん
一字訂正致します。広嗣さんを広詞さんと書き込みました・失礼しました。
[2004年11月01日08時47分]
お名前: 銀行のみっちゃん
メガネさん・ATTILA・広詞さん初めまして。全国の縄文、弥生の時代の遺蹟発掘等古代先人の有り様の探索のこと、興味を引かれる思いですね。今後共よろしくお頼みします。
日本人の源流は、南方からの海の民なのか?其れとも中央アジアの陸の民だったのか?考えればゾクゾク(族・族)しますね。
[2004年11月01日03時57分]
お名前: 広嗣
 縄文時代には既に商人が存在したと考えています。

 定説では縄文時代は狩猟・採集の時代だとされています。確かにそれは歴史上の事実でしょう。しかし、縄文時代の一部でしかないと思います。この点は色々なものが色々なところに流通していた事実が示しています。

 尤も縄文時代とか弥生時代という区分は、元来土器の区分が元になっていますから、例えば稲作に注目すれば弥生時代は現在の定説より500年或いは1000年遡ることになるかも知れません。或いは身体的な特徴に注目すれば、それぞれの始期と終期は、また変わってくるでしょう。


[2004年11月01日00時59分]
お名前: 銀行のみっちゃん
縄文時代は13000年前頃、人類が南方と北方両方から、原始林が茂る南の民には暑くも無く狩猟の動物が年中沢山住み、自然の恵みが豊富にみのっていただろう陸地(今の日本南の地域)に流れ着き、海の魚(漁猟)も採り、山の獣も狩猟して夫々の小集団を作り、ある程度の集落を形成していたのではないでしょうか?又、北方からも、寒い寒冷地帯を抜けて大陸から、温暖な気候の森林が茂り自然の豊富な食べ物、動物が豊富に住んでいた陸地(今の日本の北国地域)これらの人類の営みの時代は、相当長く日本全土に移動しつつ森林・山岳・海岸沿いに豊かな自然の木の実や獲物を求めて、歴史研究の学者先生の諸説に寄れば10000年ほど、時代を重ねたとも聞く。(この時代の間が仮に数千年としても、やはり其の地域、地域の族の間で、縄文土器の製作技術に長けたグループと、硬い石器が多数造れるグループと、山の幸・海の幸を交換し合ったり、装飾品、や狩猟道具のお互いの得意分野で、他の族(集団)にまたまた出会い交換(交易と言うには多少問題があろうかと?)事例があっても不思議では無く次第に、地域・地域で数千年の間には、交易と言える状況に発展していったと考えます。
先のお話の山口県豊北町土井ガ浜遺蹟の発掘で多数の人骨を埋葬された者の埋葬されて向いている方角が皆、北西に向けられといたのです。今までの縄文人とも骨格が異なり、人類学的に別の人種と考えられて居りますね。弥生人の源流かな?(中国、朝鮮半島からの渡来人か?)。この辺りから、様相が様変わりするようですね!(農耕民族の集団)その後は、文化、習慣・主食の違う我々の祖先が、色々な戦や融合を重ねて、交じり合い日本人と言う現代の人々になったと聞く。何せ古代の遠い話し成れば、確証は取れないので、相言う説もあるなーあとご容赦ください
[2004年10月31日14時39分]
お名前: ATTILA
 黒曜石なんかは御存じですよね?

 山口県土井が浜遺跡からは、琉球に産するゴホウラ貝で作った腕輪をした人骨が発見されています。


[2004年10月28日19時28分]
お名前: メガネさん
縄文時代に色々なものが、色々なところに流通しているというのを知って、
どのような交易をしていたのかをくわしく知りたいと思いました。
ささいな情報でもいいので、教えてください。
[2004年10月27日15時38分]
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