お名前: 広嗣
> えーと、取り合えず国名官職だけ抜きだした、こう↓なりましょうか?
えっと・・・、こうなります。(__)
従五位上;守(大国)
従五位下;守(上国)
正六位上;(該当なし)
正六位下;守(中国)、介(大国)
従六位上; 介(上国)
従六位下;守(下国)
[2004年08月22日00時09分]
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お名前: ATTILA
えーと、取り合えず国名官職だけ抜きだした、こう↓なりましょうか?
従五位上;守(大国)
従五位下;守(上国)
従六位上; =介(上国)
従六位下;守(中国)、守(下国)=介(大国)
>浅野長矩、匠の守ではなく、内匠頭 ← 了解 m(__)m
[2004年08月21日01時32分]
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お名前: 広嗣
浅野長矩(内匠頭)、土井大炊頭、井伊掃部頭は、いずれも従五位下でした。酒井雅楽頭は一つ上の従五位上でした。
守の方は、「大国」とされた国の場合は、従五位上、「上国」の場合は、従五位下となります。少し下がって、正六位下が「大国」の介と「中国」の守、従六位上が「上国」の介、従六位下が「下国」の守でした。
因みに律令時代の少納言は、従五位下、浅野長矩や吉良義央(上野介)と縁の深い大石義雄(内蔵助)は、従六位上でした。
[2004年08月21日00時47分]
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お名前: 広嗣
「守」の(他に「頭」や「将」もある)格については時間があれば調べますが、浅野長矩の「たくみ」は、「内匠」です。
浅野長矩の「たくみのかみ」は、確かにヘイさんが言うように、「内匠頭」が正式のようです。
[2004年08月19日06時29分]
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お名前: ヘイ
話は少しずれるけど
浅野匠守(カミ)は、本来は浅野匠頭です。もちろん、浅野匠守でも通用はすると思いますが。匠頭は、職人さんの頭・棟梁といったとこでしょう。(名目上の)
守(カミ)を付けるのは、地名の場合だけじゃなかったかなあ。
違ってたら、ごめん。
[2004年08月18日23時05分]
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お名前: ATTILA
そうですかぁ・・・、つうと、吉良上野介(スケ)さんと、浅野匠守(カミ)さんは、職名上は同格つうことでしょうかね?
それとも、やっぱり一段下の官位になるのでしょうか?
[2004年08月18日16時49分]
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お名前: 甘 興覇
ドモドモ、甘 興覇でございますです。
え〜っと、ちなみにではございますが「上総」「常陸」「上野」
この三国は”親王任国”であり、”守”に一般の武将が任官する
ことはありません。
つまりこの三国については”介”が実質的な国司と見て良いこと
になります。
さらに、ちなみのちなみですが、織田信長は若い頃”上総守”を
名乗っていましたが(もちろん自称です)、後に”上総介”に名乗
り代えたというエピソードを持っていますです。
以上、甘 興覇でした。
[2004年08月17日00時17分]
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お名前: ヘイ
江戸幕府大老・老中一覧
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi10.html
この中で、地名以外で何となく知っているもの。
土井大炊頭(どい_おおいのかみ)→炊事当番
井伊掃部頭(いい_かもんのかみ)→掃除当番
酒井雅楽頭(さかい_うたのかみ)→学芸会当番
実際にはどうなんでしょうね、偉いさんだから下っぱにやらせていたんじゃないのかな。
[2004年08月16日21時58分]
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お名前: オヤジを親父に持つ娘
吉良上野介は、上野の国の次官と・・は
ためになりました。
すごい!!
[2004年08月15日01時12分]
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お名前: 広嗣
大岡越前守忠相は徳川幕府第8代将軍徳川吉宗の時代の町奉行ですが、大名と同等の扱いをうけていました。
私見ですが、江戸時代は幕府と朝廷の二重権力でした。大名は将軍との主従関係ですが、○○守は天皇との主従関係で成り立っていました。ただ朝廷の方は謂わば名誉職の形になっていたために、幕末になるまで特に混乱を引き起こすことはありませんでした。
> 長官が「守」、次官が「介」・・・後は忘れた・・・
判官(じょう)、主典(さかん)と続きます。
[2004年08月13日01時19分]
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お名前: ATTILA
大岡”越前の守(越前の国のカミ)”、羽柴”筑前守(筑前の国のカミ)”で、いずれも律令体制の地方長官名です。
長官が「守」、次官が「介」・・・後は忘れた・・・
吉良上野介は、上野の国の次官という意味ですね。浅野匠守は匠(の省)の長官の意味です。
昔、無賃乗車のことを”サツマノカミ”と言いましたが、これは平家物語の薩摩守平忠則(サツマのカミ タイラのタダノリ)から来ています。
[2004年08月12日22時21分]
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お名前: オヤジを親父に持つ娘
大岡越前、羽柴筑前、何で官位(!?)に地名なの?
[2004年08月12日02時47分]
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