記事タイトル:大谷刑部の裏切り

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お名前: 甘 興覇
 どうも、ここはお久になります、甘 興覇と申しますです。

 さてさて、お尋ねの大谷刑部少輔吉継は確かに家康からの会津征伐の命を
受け、越前敦賀を出発したのは事実であると推測されます。
 しかしその途上、当時近江佐和山に蟄居中の三成に呼び止められ、その場
で挙兵に加わるように説得されたようです。

 三成と吉継は秀吉に同時期に採用され、ともにその才能を愛された人物と
して知られています。しかし、同輩と言うだけでこのような大事において、
しかも突然のことにおいて行動を共にするのは確かに疑問が残ります。

 こういう逸話があります。
 ある茶会において茶碗が回されたとき、吉継がその茶を喫しようと
したさいに、鼻水がその茶碗に垂れてしまいました。
 吉継はその頃すでにらい病を患っており顔が崩れ始めていたため、
その後その茶碗を回された武将たちはことごとく飲むまねだけをし、
その茶に口を付けようとはしませんでした。
 そんな中、その茶碗が三成の元にやってきました。
 三成はその茶碗の中身をことごとく飲み干してしまったといわれて
います。

 この逸話が事実かどうかはわかりませんが、こういう逸話が伝えら
れるほどほど吉継と三成には信頼関係があったといった方がいいかも
知れません。
 っということで、回答のひとつにはなったでしょうか?

                   以上、甘 興覇でした。

[2004年07月20日00時04分]
お名前: 細川を愛した雲雀
なぜ、大谷吉継は、三成に、ついたんですか。
[2004年07月18日03時16分]
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