吉田松陰 その26 決然、国禁を犯す *[5]* 松陰は、野山獄に入った日「野山獄に入る。時に十月二十四日なり」として、 一編の詩を作っている。 「逸気神州を隘(せま)しとし/乃ち五州を窮めんと欲す/憐むべし蹉跌(さ てつ)の後/一室に孤囚となる」 彼の素直な心境である。 松陰たちが萩に帰着するまでの道中は、先にも述べたように苦渋に満ちた日々 であった。しかし、いかなる時においても松陰の心はいきいきと、そしてつやや かな感応を示す。 これまでの旅日記に書きとめられた詩の数もさることながら、下田の獄中にお いても江戸の獄中においても詩を作り、そしてこの厳しい護送の道中においてす ら、実に五十七編の短古(句数の少ない古詩のこと)を作っているのである。 それは、 「去年は雲外の鶴/今日は籠(ろう)中の鷄/人事何ぞ嘗(なめ・並べて、す なわち世の常)て定まらん/皇天甚(なん)ぞ斉(ひと)しからざらん」という 詩に始まって、 「限りなき心上の事/一々附す/詩成るも那(な)んぞ記するを須(もち)ひ ん/心上ただ自ら知るのみ」 という詩によって終わる。その間において、 「匈奴(きょうど・ここでは洋夷の意)内侵急なり/誰れか是れ霍嫖姚(かく へうよう・漢の名将)/憂ひ来って悲曲(時務論策の上書の意)を歌へば/人は 言ふ我れ驕(おご)りを宣(の)ぶと」 「人情雲霧の如く/東西唯だ風に任す/寸心誰れに向ひて訴へん/ただまさに 天翁(天帝と同じ)に質(ただ)すべきのみ」 「勇往至険を踏む/挫折豈(あ)に躯(み)を顧みんや/たとひ狂愚のそしり を得とも/名利の区に没するに勝る」 「夢裏(むり)常に国を憂へ/醒餘(せいよ)忽ち家を思ふ/萬山水を閲過す るも/未だ詩魔(詩的精神)を動かすことあらず」 など、切々と心境を詩に託している。 詩的表現においてみるならば、彼の詩は必ずしも熟成した美酒とは言いがたい。 しかし、それだけに素直に吐露された精神の日録となり、魂の告白となっている。 松陰に限らず、幕末から明治初期にかけて活躍した志士たちは、事あるごとに思 いを詩に託している。彼らは精神の高揚の中で、また苦哀の中で、詩を作り、歌 を詠んだ。特に峻(しゅん)烈な志に生きた人々に多くの詩がある。松陰もそう であり、また高杉晋作などもその代表的人物である。 それは、ある面で強い自意識の発露であり、顕示欲の現れであったかもしれな い。彼らのそうした作品を、文学の場であえてとらえるならば、“志の文学”と でも言うべきであろうか。 そして、彼らの場合、「詩心」というよりも「詩魂」というにふさわしく、ま さに「詩は志なり」という感が深い。 |