お名前: 江戸通
「維新史」には、「空しく挙手傍観して事態の推移に身(慶喜個人)をゆだねるべき」
という文句が採用されているそうです。
大目付、滝川具挙のものとして、慶喜が提出したとされる「討薩の表」以外に、
軍配書が残され、伝習隊の参加がはっきり明記されているそうです。
大河ドラマでも一部採用されていた資料が素だそうですが、押収された新式銃は、
5,6丁というのが記録された鳥羽伏見での内容です。
徳川慶喜としては、小御所会議の決定である、軽装にて入京し、持ち場に速やかに
つく。身分は、慶喜が、さきの内大臣としての役目であるというのを、遵守したかった
というのが記録採用されてます。
江戸通
[2010年03月02日08時24分]
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お名前: 江戸通
シャスポー銃?
どんなのかな
http://www.geocities.jp/tokugawa_navy/Gun.html
鳥羽.伏見では、慶喜の厳命にかかわらず、竹橋の蔵から持ち出され
使用された形跡がある由。
むしろ挙手して、傍観しつつ入京すべきかという怒りの慶喜と、
討薩の表を掲げ倒幕派武力鎮圧を図る、大目付滝川氏の争いが、
無謀にも、弾薬を携行せず、京都侵入を図るという局面で、一部
が流失したらしい。
幸い、3000丁と言われたこの銃は、大半は、新政府に収められた
ありました。
カーターさんには申し訳ないですが、むしろ、新政府の方が、先込式の
銃が多数で、幕軍の方が新式銃という局面が多数あったようです。
極端に不足していた、薬莢が、函館戦では、枯渇し、蝦夷地には、この銃は、
もちこまれなかったということです。
ホントですかね。こうすれば、日本史ですね。意気込みに優る新政府が、
幕軍を圧倒したということですね。
江戸通
[2010年03月01日07時36分]
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お名前: 江戸通
明治4年から、7年にかけて、兵器還納が実施され、
後に熊本に派遣される近衛第二連隊や熊本鎮台の兵には、
1500丁のスナイドル銃が配置されたと資料にはありました。
この兵器還納が、なかなかスムーズにはいかず。
後送式に改良された前送式銃を正式採用されたとありました。
改造費は一丁あたり3円程度とかなり新式銃を採用するより安かったと。
明治4年から、明治7年頃の話しでしたが、まーはしりといえば、はしりには、
ちがいないですが、幕末の情勢は整理はできていません。
実際、西南戦争で活躍した「警視庁抜刀隊」などは、バットではなく刀が主要
装備という旗本の子弟も多数参加していたのでは?
江戸通
[2009年12月08日07時50分]
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お名前: 江戸通
マックさん、どうもです。
>幕府側:雷管式ゲーベル銃
>というのは、オランダ製かな。
>高島秋帆が、オランダ式訓練を幕府に
>上申したのが、やや不運だっだ。
そうですね。同感です。幕府も維新戦(?)には投入しなかった部隊には、
フランス式の訓練を受けた、部隊がおり、士官以上には、新型銃が配備されて
いたのはたしかです。
鳥羽.伏見の戦いでは、昏迷な和銃派が多数存在し、色々な改良型和銃が採用
されていた経緯があったようです。
実際には、幕府の力が充分でなく、新式銃は、あまり活躍していません。
すでに、第二線となっていたところでも、維新戦には参加しており、このような
局面が現れてしまったようです。
雷管式ゲーベル銃 VS 改良型エンフィールド銃
という戦闘になり、幕府側の惨敗というのは、確認されたようです。
幕末、になると各藩は独自に兵器調達をしていたので、幕府の方針も守られて
いなかったようです。この雑誌の記事には、ありました。
江戸通
[2009年12月02日07時22分]
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お名前: マック
訂正かな
スナイドル銃(スナイドルじゅう、 Snider-Enfield)
とは、イギリスのエンフィールド造兵廠(RSAF)が
前装式ライフル銃であるエンフィールド銃を改造した
後装式小銃である。
[2009年11月20日10時14分]
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お名前: マック
は〜〜〜〜い、こんばんは
幕府側:雷管式ゲーベル銃
これは火縄銃と基本的に同じもので
発火が火縄より、火打ち石に変わったもの。
弾丸は丸弾を使用。火種を保持する必要は
なくなって、火打ち石の火花だけで射撃できるので
進歩といえば進歩。撃発式
薩長側
改良型エンフィールド銃
全長 1.3m 重量4kg 後送式
「施条」により、射程が1800m
英国のエンフィールド銃
フランスのミニー銃
ともに、
撃発式ライフル前装銃で、弾丸は
尖頭弾。
改良されて後装式になったのは、
だいぶ後のことだよ。
西南戦争で、
官軍は、
エンフィールド系前装銃3万丁
スナイドル系後装銃1万丁を使用。
しかし田原坂の戦いでは、参加部隊は
後装銃のみ使用。
幕府側:雷管式ゲーベル銃
というのは、オランダ製かな。
高島秋帆が、オランダ式訓練を幕府に
上申したのが、やや不運だっだ。
幕府はオランダから軍艦、銃砲を
大量に買い込んだから。
[2009年11月19日17時54分]
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お名前: 江戸通
日経おとなのOFFと言う雑誌に、幕末に使われた小銃について
記述がありました。
薩長側
改良型エンフィールド銃
全長 1.3m 重量4kg 後送式
「施条」により、射程が1800m
幕府側
雷管式ゲーベル銃
全長 1.5m 重量4kg 前送式
射程 300m
前送式の銃は、約2分ほど後送式よりかかるとされる。
また、改良型のエンフィールド銃は、スナイドル銃と同じもので、
長岡藩が使用したガトリング砲は、弾丸が特殊で補給がままならず、
また、重いので操作が大変だった。
とありました。
実際、幕府がゲーベル銃を採用した理由は、不明ですが、
ペリー来航のおり、新式のスペンサー銃らしきものを雄藩にも閲覧させ、
薩摩にも解体調査のため、払い下げたとということでした。
鳥羽.伏見の戦いの段階では、旧式の銃も改良を加え使われていたようで、
薩長のように改良型エンフィールド銃を採用することは、調達をふくめ困難
を極めたらしい。
また、旧型のエンフィールド銃は、ナポレオン戦争で、ナポレオンの密集兵団
戦法用の兵器で、遠くから狙いを特につけず発砲するというもので、一般の、
戦闘には、不向きだったらしい。
小銃の研究は、そのまま日本史に置き換えるのが難しいのは、用兵の問題もからん
でいるからでした。
江戸通
[2009年11月13日17時48分]
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