テーマ:野馬(のうま)について

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お名前: 江戸通
 東海一の馬術の人と呼ばれた、徳川家康によって
慶長期に、古代中世と続いてきた下総牧をを整備した。
 慶長17年
  佐倉野の馬守り衆に帯刀をゆるす。
 同年
  綿貫十右衛門を下総牧の管理を世襲で任せる。
  正式名称は、「小金佐倉牧野馬奉行兼牧士支配」で、俸禄30俵
 また、牧士の待遇は、帯刀、乗馬、鉄砲の所持を許されていたが、
 俸禄はおよそ、年八両の切米相当だったようです。

 奉行の綿貫氏は、月見里(やまなし)を名乗って、四街道あたりの城主
だったものが、小田原に篭城し、豊臣、徳川と争い、戦後、小金の都平賀に
在住し、綿貫を名乗っていたところを、徳川家康に取り立てられたようです。
 国道298(たぶん)の市川ー松戸が一部開通し、東京から千葉に入り、トンネル
を抜けたあたりから、市川市までが、野馬除土手を走ると言う事になっています。
 現在、高さ2m弱、堀50CMほどの野馬土手が残されている所は、僅かになって
しまいました。 
 明治初期の記録には、高さ30CMほどのマウンドが残されているのみという、
報告が残っているようです。
 野馬土手は、牧内の馬や猪が逃げ出さない為に作ったもので、牧士は、月六回、
水や、土手の状況を監督するのが仕事で、牧の管理は、綿貫氏があたった。
 土手の補修等、実際の作業は、近隣の農民の夫役だったようです。
 後、旗本が、綿貫氏との縁戚を頼り野馬奉行に就任し、綿貫を名乗ったことが
あるようです。また、金ヶ先に会所が設けられ、牧周辺の新田開発を行い、
周辺住民の待遇改善を図ったこともあるようです。
 昨年度の馬インフルエンザの流行の例があるように、江戸期でも、風邪に強い
ということで、放し飼いで育った野馬の人気は、風邪の流行と相俟って衰えなかった
ようです。江戸期の馬は、背丈が120CMほどだったので、土手の高さも、それに
応じたものだったようです。
 常磐自動車道も一部、野馬土手の上を走っているようで、これで高田台牧(常磐自動車道)
 中野牧(外環)というように、高速道路が従来の野馬土手の替わりという例も増えそう
 ですね。

 江戸通

[2008年03月29日11時10分]
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