記事タイトル:茶飲話】昔過激派、今アルカイダ・・・ですか

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お名前: TOSHIYO
初めまして。日本が自衛隊を現地に派遣した最大の理由は、現地でアメリカのスパイ行為をするのが目的だからなのです。
 既にご存知の方々もいらっしゃると思いますが、政府はアメリカの要望で自衛隊を派遣しました。現地で「復興支援・人道支援」と言う奇麗事を並べた政府の派遣決定で、現地入りした自衛隊の活動は以下の通りです。
1:現地の方々の了解も得ないまま、勝手に宿営地の建設場所を決めてしまった事
2:現地の病院や学校などの施設よりも、先に自衛隊の宿営地を着工している事
3:現地入りした自衛隊全員が、完全武装状態で有り、現地に武器・弾薬も持ち込んでいる事

 これら新聞にも掲載されていた事で御座います。自衛隊がアメリカのスパイとして現地入りしたからこそ、現地の方々からの襲撃に備える事が大事になるので、自衛隊多数で全員完全武装状態にして、宿営地が完成するまでの対策にしています。
しかも自衛隊の宿営地は、非常に立派な建物になるとまで新聞に書かれていました。これのどこが、現地の復興支援なんでしょうか?

だから日本がアルカイダ関連のメンバーに狙われるのは当然の事で御座いますよ。テロが起きてからではもう遅いです。私達一国民ができる事は、政権を握っている自民党・公明党を参議院選挙で敗退させる事です。
テロによる犠牲者が出てしまってからでは遅いんですから、皆様でこういう実態を受け止めて下さり、「国民の為の議員なんだよ」と言う基本を、うぬぼれた議員方々に態度として取って戴きたく願っております。
[2004年05月10日15時49分]
お名前: 江戸通
 「アル.イスラミア」と「イスラミック.ジハード」は、
タリバンの最高指導者オマル師が、イスラムの抵抗組織として
「アル.カイーダ」を歓迎した時点で、オサマ.ビン.ラディン
の傘下組織として指揮をうけいれています。
 アフガン問題に介入したのが、ロシアが先ということですか?
次に、宗教を否定する「ソヴィエト勢力」を駆逐するため「ムジャヘデイン」
にいかに、「アルカイダ」が関与したかという見方があるようですが、
あくまでも、オサマ.ビン.ラディン氏の個人組織なので、
アフガン戦線での在郷軍人会ということではないかも知れませんね。
 「ソヴィエト勢力」崩壊後は、アメリカ合衆国とこのイスラム勢力との
関係は終わりまいしたから。ここで終わっていては伸展もなにもないのですが
しょうがないかなあ。
  江戸通 記

[2004年03月25日23時39分]
お名前: ヘイ
あ〜る、は〜れた〜(すっ頓狂な声で、蝶々夫人の真似)

これも、カゲキ派か。

「あ〜る、か〜いだ〜」のほうがよかったかいな?

ゴミレス、横槍レスでごめん。

[2004年01月03日17時38分]
お名前: 江戸通
 日本政府の高官の談話として、
 「アルカイダは、究極のNGOである」というのが、現代用語に
採用されてます。
 過激派とかテロ組織とは、一線を画していると言う事です。
 刑務所から出ても、出口で次の仕事を渡すのが、過激派で
アルカイダは、生命保険のようなもので自爆テロで死んでも、
遺族に労務保険を渡すだけとか、、、
 兎も角、過激派のようでなくNGOのノリなのは確からしい
ですね。もちろんテロ組織なのですが、政府組織と対立しても
行動に結びつけるところが似ていなくもない。
 過激派扱いしていては、とてもテロは防げないというのが、
現場の実感だったようです。昨年、強制送還されたアルカイダ
メンバーも東京では、ただの好青年と写っていたようです。
 まさに文明の衝突というところかと感じています。 TVねたですが
コーランには、ワインを遠ざけよと禁酒を詩っていますが、
実際に禁酒を規制しているのは、深酒は礼拝を忘れるからであり
キュアーという習慣規制は、殆ど公開されてもいませんでした。
キュアーは、法とどうかかわり生きて行くのか解りません。
  江戸通
[2004年01月03日15時20分]
お名前: 江戸通
 ちょっと不思議な話ですが、ロスアラモス基地周辺では、F18の
ホーネットを改良して、古くなったF14の代替部隊をスーパー
ホーネットとするなどという、ニッポン放送の報道がありましたが、
今度、始めた大戦略2003には、自衛隊が誇るF14に、
フェニックスの搭載がないのです。

> 仮にアルカイーダなる組織が実在し、あれだけの爆薬を調達して
>設置する能力があるんなら、なんでクソ面倒なハイジャックを、し
>かも4機も仕掛けるんじゃ?
 アッチラさんへ、更に、彼はSARSを写した人間(ガン)を、
取り逃がした為、ウイグル人の独立運動も決起して、中国を崩壊に
至らせるというシナリオまであるんです。
 ちょっと、シナリオを紹介すると、T62、T74主力戦車と
アルーフセインを中核とするウイグル部隊と、スウェーデン軍の
旧世代軍を持ち込んだような義勇軍が中共軍をやっつけてしまう
というものでした。リアルだなー、北京政府は、SARSの媒介
をした闇労働者問題を解決できるか?というショッキングなもの
でした。
  F22、やSP200等は、コピー商品も高価で手に入りにくい
ですが、旧世代の東欧、北欧ものはとなると、、、
まあゲームの話ですが。
  江戸通
[2003年12月01日20時47分]
お名前: 広嗣
 表題にある「過激派」を見て、最初警察やマスコミの言う(左翼)「過激派」のことかと思ってしまいました(\(^^\) (/^^)/)。

 昔から日本政府は政府に「楯突く輩」を「過激派」と呼びたがるのかもしれません。右翼にも「過激派」はいるはずですが、そっちには一切頬かむりです。

 そのうちイラクやアフガニスタンで反米武装闘争をする連中を「過激派」と呼び始めるかもしれません。尤もこの場合は目先の石油利権に目が眩んでイラクに殴りこんだまでは良かったが反米武装闘争に手を焼いている「お上」がそう呼んだらの話でしょうけど。


                                  広嗣

[2003年09月01日01時13分]
お名前: 江戸通
 中国では、3と言う数字を大変尊ぶとかで、七五三も
そんな事から始まったと言う説があります。では、七と
五は、日本だから、奇数は日本の数字という論調ですね。
 仮に、WNDでもアメリカより先に手に入れていたら
シーア派なんかいらないから片付けちゃおって、WMD
だけでも重いからなって言う事はないと思いますよ。
 単にアルカイダ兵を逮捕できたという事とテロを結びつけた
ノータリン&イ(e)ーカゲン天気論ですね、タイでやはり、
アルカイダ兵が逮捕されているんですが、、やったかも
知れないがシーア派が難しいことでも言ったんやーー。という
解釈はいいかな?
  失礼しました、ちょとこれ怖いからなら言わなきゃいいだろうが
と思いますが、、、
 ノモンハンで活躍した秘密兵器、JYOUってやつが過激派日本軍
には、大層効果があったとか火炎瓶食らうくらいなら出てやらないぞ
って鍵かけちゃうかも。油は匂いもだめなんで〜。ちゃうかな。
   江戸通[2003年08月31日21時42分]
お名前: ATTILA
 さっきのノータリン・ホラフキ・狂言師(NHK)のにゅーすで、
イラクのシーア派モスクの爆弾事件をアルカイダの犯行か?とかやっ
てましたねぇ・・・

 911事件から2年もたってるのに、一つ覚えのアホとしか言い
ようがありませんね。さすがに日本のマスゴミの優であります。
 あれだけの惨劇を起す爆薬の量や種類を考慮する脳みそはないん
かいな?

 仮にアルカイーダなる組織が実在し、あれだけの爆薬を調達して
設置する能力があるんなら、なんでクソ面倒なハイジャックを、し
かも4機も仕掛けるんじゃ?

 アルカイーダがイランのシーア派に匿われていたと思えば、今度
はシーア派モスクへの攻撃ですか・・・。では、バリ島の西洋飲み
屋の爆破はだぁーれだ?これも、アルカイダかいな?
(当時はNHKもそう言っていた)(苦笑)

 そういえば、1910年代のロシア内乱(ソ連革命)の時には、英仏
軍がイラク・イラン方面とアフガン方面から攻め込み、これに呼応
して(=競争して)我が大日本帝国は米軍とともにシベリア方面に
攻め込んだのですが、その頃の日本の新聞は、我が大日本帝国に芳
しからざる勢力の攻撃は、みんな「過激派」なんですねぇ。(笑)

 「過激派」じゃなかったのは、我が大日本帝国後援のセミョノフ
軍くらいじゃなかったかな?なにしろ、セミョノフが妥協するまで
コルチャック軍(オムスク政府)に対しても「過激派政府」とか書
いてますからねぇ。(笑)

 結局、英仏日米連合軍(*)とその支援勢力(オムスク政府)は、
ソ連軍(赤軍)に負けちゃったのですが、置き去りにされた地元勢
力は、ソ連政府にメタンコ苛められたのですね。
 アフガン方面で言えば、アフガンは無事だったけど、北のトルク
メン、キルギス・・・なんかは、メタンコ苛められたとか・・・

 沿海州や東シベリアなんて、いまだに独立も出来ないしねぇ・・・

 セミョノフは、日本まで逃げ込めたようですが、コルチャックは
イルクーツクあたりで捕まったのかな。彼らがモスクワから持ち出
した金塊(2列車分)は、いまだに行方不明だとか・・・

 フランス軍がかっぱらったという説と、フランス軍指揮下のチェ
コ軍団が隠匿し、後の独立資金になったとか、種々噂があるようです。
(注)ソ連が取り戻したなら、宣伝すべきことで、隠すことではない。)

 ま、誰が「過激派」か言えたもんじゃありませんね。
 
(*)出兵兵力順。
 この時、我が帝国陸軍は、実戦部隊3万人強とともに、陸地測量
部(部隊)を派遣して、イルクーツク方面まで測量しまくった。そ
して、後のノモンハン事件では、この時の20万分の一の地図を頼
りに闘ったのでありました・・・

 ま、1910年代頃は、まだまだ政治家にも、軍人にも「遠き慮(お
もんぱか)りなければ近き憂い必ずあり」という人士がいたのでしょ
うね。
 それが、ノモンハン事件の頃には、1910年代頃の、それも戦時の
やっつけの20万分の一の地図で戦争するようになってしまったと
いうことでしょう。この辺から、もう思想的には負けてるんですね。
[2003年08月31日20時58分]
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