記事タイトル:百済

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お名前: 済   
 とりわけ話題になるのが百済と新羅の紛争だが、歴史的に解っているだけでは無く、それ以前も、日本へ渡来して、揉め続けていたらしいのです。他にも鹿島、鹿児島、香島など、南方から渡来した人々もあったのでしょう。
 
 たとえば、百済(クダラ)とは、日本読みでしかなく、朝鮮半島では(ペッチェ)と読むそうです。クンナラという韓国の言葉は、「偉大なる国」を意味すると、以前テレビで韓国の学者が話しています。
 大和朝廷を治めた渡来系の人々は百済からの渡来人であることは良く知られているが、彼らは自分達の故郷を崇敬する気持から、本来の「百済」を(ペッチェ)と読む百済国をクンナラと「称えて」きたことが、日本に来て彼らが言うクンナラを、文字表記「百済」をクダラと読み、やがて土地を奈良「ナラ」に変化するのに余り時間は懸からなかったと考えることもできます。

 一方新羅とは、百済(ペッチェ)の民が、対立する新羅(シンラ)の国を「野蛮な野郎!」(ギー)と見下して呼ぶ言葉の音が、新羅野郎!を(シンラギー!〜シラギ)と読む国名(シンラ)に転換させたのではないかとも考えられます。 もしこの解釈が正しければ、日本国内で朝鮮半島の民族闘争がなおも続いていたことになるのです。
 朝鮮半島から海に出ると海流に流されて対馬へ渡るより、出雲へ渡れてしまうと以前聞いたが、出雲地方が渡来人の基地になっていたとすれば、文化の交流も多く、話題も豊富だったのでしょう。
 少々話が回りくどくなってきたので、勝手な想像をいよいよ止める。ともあれ天孫系では無い、出雲の大国主神の子、建御名方神が諏訪大社の御祭神なのです。

[2002年4月27日 23時28分14秒]

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