お名前: attila
茶飲話>ユースホステル(2) /ATTILA
日本のユースホステルはドイツから輸入された一種の官製民宿複合体なの
ですが、この輸入され方が面白いのですね。
第一次大戦で敗戦国になったドイツ圏の国で、ワンダーフォーゲル運動つ
うのが出てきます。これも、WW2後の日本に輸入されて、第二山岳部のよ
うな形になってますが、本来のワンダーフォーゲルは、一言で言えば敗戦国
の青少年の”国を知ろう運動”なんですね。
ワンダーフォーゲルは、”観光旅行”ではなく、野や山や知らない田舎を
隅々まで巡って、自分の国を知ろうという運動です。で、ホテルもない田舎
町をほっつき歩く青少年のために、素泊まりの超低料金の民宿を提供する動
き(これも運動)が出てきたのですね。
ワンダーフォーゲル運動は、戦争で国土も荒れ果てたドイツ圏諸国の「西
部戦線異常なし」(レマルク)の学徒兵くらいの年代層がリードしながら、
中高校生年代層が”国家滅びても、なお山河はあるのだぞ”と確認していく
作業だったと言えるでしょう。
そして、大人の層(戦争責任世代)が、コミュニティ(町・村・集落)の
レベルで青少年の”ほっつき歩き”をバックアップしようとしたのが、ユー
スホステル運動だったと言えます。
それがヒンデンブルグや、次のナチ党政権下で国家事業としてバックアッ
プされたのが国家的ユースホステル運動ということ。ですから、ワンダーフォ
ーゲルはナチ少年団(後のヒトラーユーゲント)の行事にも組み込まれてい
ます。
で、東海の小島国のアホな軍人政権は、元々は自主的な青年運動の部分を
ちゃんと学ばないでナチ党のコピペで画策します。しょせん背景や精神論を
学ばないコピペですから、青年層の自主性をことごとく妨害する方向にしか
ならんのですね。
後に連合国からA級戦犯として糾弾されることになったような輩は日本青
年団(青年団の集合団体)の動きにもメチャクチャ介入します。
そして、第二次敗戦後の学徒出陣兵や村の青年団のなかから”ワンダーフォ
ーゲル運動”が起こることもなかったし、軍人政権にコミュニティの自治を
破壊された町や村から、オラが村を見てくれ、オラが村から何か学んでおく
れという”ユースホステル運動”が出てくることもなかったのです。
ま、”新しい歴史教科書をつくる会”派に言わせれば、こういうこともG
HQの画策、弾圧ということになるのかも知れませんが。(苦笑)
結局、日本のユースホステルは、中曽根君とかの層がリードした国家的事
業のほうが推進力になってしまったのですねぇ・・・、今の日本ユースホス
テル協会(これも特殊法人だよん)の会長は、前総理の森のオソマツさんだ
そうで、さもありなんつう感じですねぇ。
ATTILA
[2001年9月10日 20時48分51秒]
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お名前: attila
昨日の朝日新聞日曜版によると、ユースホステル(YH)の会員数が最盛
期の63万人(’72)から13万人(’00)に落ち込んでいるそうで・
・・、なんとも感慨深い今日この頃なのであります。
思い起こせば四捨五入で半世紀も前のことですが、中学一年生の時にユー
スホステルの会員になりましたのです。大阪心斎橋のそごうデパートに受付
があってそこまで申し込みに行きました。
東京でも、当時は有楽町そごうに受付があった。そごうの一族とユースホ
ステル協会は、なんか関係があったのでしょうね。
で、生まれて始めての外泊が和歌山県日ノ御碕のユースホステルでした。
それから高校三年まで、なんやかやとユースホステルを使って一人旅してま
したねぇ。
べつに一人旅好みじゃないですけど、当時は中高校生を旅に出す勇気のあ
る親がいなかったということでしょう。
ユースホステルでも、泊まってるのは大学生や社会人のオニイサマやオネェ
サマばっかりで・・・、おかげで、夕食のおかずをわけてもらったり、いろ
いろかわいがられましたのだ。(^O^)
なにしろ、コンビニなんてない時代ですから、昼飯は懐に余裕のある時で
もパンやお菓子ですし、昼飯抜きなんてしょっちゅうでしたから、ありがた
かったです。(^O^)
ユースホステルのオニイサマ、オネェサマ、ペアレント(管理人)さん、
お世話になりました。m(__)m
ATTILA
[2001年9月10日 20時47分50秒]
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