記事タイトル:東夷の世界の漢文化(23)

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お名前: 素里奈
これより数行は、前出(20)(21)(22)と重複するので、省いて話を先へ進める。
この四言古詩四行がはたして当時のものをそのまま伝えたものかあるいは後人の潤筆がくわわったものか確言はできないが、とにかく「公無渡河」の曲が当時巷にひろまり、漢人たちも広くしられて漢代楽府にまでのったものとおもわれる。この史話を通じて二、三か感ずるところがある。一つは狂夫の妻が夫のあとをおって死んだという貞烈の話が、あの漢志燕条に朝鮮の婦女たちには貞操があるという記事と対応される点、もう一つは箜篌のような漢の楽器が流行してこちらの下層社会の婦女子のなかにも名弾手・名歌手があったということ、また当時の漢文化が朝鮮側原住民社会にどれほど深く影響をおよぼしたかを想像させる点である。

[2005年03月26日00時40分]
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