記事タイトル:東夷の世界の漢文化(21)

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お名前: 素里奈
楽浪郡治一帯前十一県の内、どうして「朝鮮」を(大名である)郡名としないで、首府の県名にしたか。李丙涛、、、、「下部の字劃あり」氏は古朝鮮時代のある重要地点であったので、その縁起ではないかとした。また、衛満朝鮮(韓氏朝鮮)の後期首都がその地であったからではないかとも推測した。韓氏朝鮮後期には泪水(清川江)と列水(大同江)との間が空地(緩衡地帯)になっていたから、首都が列水(大同江)以北にあったとは考えられない。全燕の侵略以後、朝鮮の首都は列水以北から、その南岸へ移置されたと解釈する、として、楽浪の首府名が「朝鮮」と命名された理由もそう解釈してよいのではないかと、描写した。近辺の土城里古墳群の幾つかは、日政時代に発掘調査があったか、そのなかには、楽浪以前の遺物も発見されている。例:梧野里にある木槨墳は、その内容が、楽浪時代以前のものに属するとし、将来発掘事業の進展によって、よりはっきりする筈である。云々。
[2005年03月23日19時02分]
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